日本における洋服(1927年)
一方、女性の洋装化は遅れ、上流階級では鹿鳴館の舞踏会で着用されたほか、1886年に女性の大礼服などが定められたが、一般には和服が着用された。大正時代に入ると、大正デモクラシーの影響下、モダン・ガール(モガ)や、バスの女車掌などの職業婦人は洋服を着た。また、1923年の関東大震災では、身体の動作を妨げる構造である和服を着用していた女性の被害が多かったことから、翌1924年に「東京婦人子供服組合」が発足し、女性の服装の西洋化を目指す運動が盛んになった。1927年9月21日には、同組合主催により、当時の銀座三越において日本国内初のファッションショーが開催される。これは一般からデザインを募ったファッションショーでもあった。また、日本橋にあった「白木屋」デパートにて発生した大規模火災で、和装の人々に被害が多かったという認識が示されたことも相まって、従業員の服装を西洋式に改める百貨店が増加した。
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