フランスのレース(フランス革命から19世紀)
1789年からのフランス革命の大動乱の前より、レースは流行から外れていた。ペティコート、キャミソール、パンタロンなどの下着にレースが使われたが、人目に触れないことであまり手を掛ける必要がなくなった。共和制の成立後、細々とレースを作成していたレース産地では、レース生産を再開したが、連続模様の幅の狭いものがほとんどであった。
そのような中、1792年2月、フランス革命政府の商務兼内務大臣サン=ジュストは、レース生産を再開したいアランソン市議会に、助成金の交付を承認した。ナポレオンは、コルベールと同様に商業的理由と国家的な威信を高めるためにも、贅沢産業を奨励し、新しい帝室儀典書では宮廷の公式レセプションには、男女共にレースの着用が義務付けられた。ナポレオン自身も1804年の戴冠式でブーヴリ社に注文した、アランソンのシャボを身に付けた。しかし、帝室議典書でレースの着用を義務付けても、男性はどうしても着用しなければならないとき以外はレースをつけなかった。当時の男子服は地味な色のウールのラシャになり、デリケートな色の刺繍が施されていた。19世紀のファッションにおける男性の役割は、女性と競い合うことではなく、女性を引き立てることであった。レースはこの時以来、男子服から消滅した。
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