19世紀初頭には、デパートと同時に、既製服(後のプレタポルテ)が出現した

大物のファッションデザイナーはもはや顧客に奉仕する職人ではなく、第二帝政下で形成された、正当性と同時に精神も求めようとするそれ自身の混淆した世界の一部となっていた。シャルル・ボードレールによって理論付けられたダンディスムと共に、趣味の端正さが生まれつきの代わりとなり、美学が一種の倫理を構成し、それは選民として生まれずとも模倣できるものであった。

19世紀初頭には、デパートと同時に、既製服(後のプレタポルテ)が出現した。既製服は高級な素材の安価な模造品を用い、ファッションを大衆化させた。後にはこの分野にもキャシャレル(フランス語版)やジャン=ポール・ゴルチエのように独自の才能あるデザイナーも現れた。

普及のために、ファッションは画像、イラストレーション、テレビなどと協力するようになった。ココ・シャネルは1930年にサミュエル・ゴールドウィンとの間でユナイテッド・アーティスツのスターたちの衣装を供給する協定を締結した。1985年頃以降、トップモデルたち自身もまたメディア上のスターとなるようになった。